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【Beyond 2020(2)】カタリストであれ。21世紀の公共性をつくろう

釜石市オープンシティ推進室長/釜援隊協議会事務局長 石井重成

1986年、愛知県西尾市生まれ。国際基督教大学卒業後、経営コンサルティング会社を経て、東日本大震災を機に岩手県釜石市へ移住。26歳の若さで、復興支援員制度を活用した地域コーディネーター事業「釜援隊」の立ち上げや、オンデマンドバス導入による地域公共交通の最適化、成長企業のUIターン採用支援サービス開発など、クロステーマによる官民連携事業を推進。まち・ひと・しごと総合戦略の立案では、700名を超える市民との対話を通じて「オープンシティ戦略」を策定。釜石の地方創生戦略や事業立案のディレクターを務める。一般社団法人地域・人材共創機構 代表理事、TOMODACHIイニシアチブ 東北地域メンター。

ー”あれから” 変わったこと・変わらなかったことー

東北で生まれた多様な「自己決定」

何よりも一番変わったのは、僕自身の生き方だ。

社会の中で、自分の責任と役割を全うする。そんな実感を持てることは幸せで、仕事を通じて大切にしたい価値観を、自らの意思によって形にする。本当に自由な働き方とは、単に「お金がある」「休みが多い」ということではない。

いま振り返れば、震災後に釜石へ移住するまでは、周囲の期待を気にしながら生きてきたように思う。僕は母子家庭で育ち、あまり裕福な家庭とは言えなかった。一生懸命働いてくれた母親は努力家で、教育熱心な人だった。地元の中学校を首席で卒業し、国際基督教大学から経営コンサルティング会社に就職した。なんというか、寄り道のない直線的な人生だった。努力はしたけど、それらは周囲から与えてもらったオプションで、その中からどれがいいかを選んできた。そんな感じだった。

だが、縁もゆかりもなかった「釜石へ移住する」という選択は、本当の意味で自分の意思で生き方を選んだ最初の決断だった。その瞬間から、それまでの26年間とは異なる、「確かではない世界」に足を踏み入れることになった。他者と異なる生き方を選べば、「なぜ自分はこの選択をしたのか」と断続的に考えざるを得ない。そして、この問いに対する答えは、自身のステージや社会トレンドの中で変容し続けることができなければ、とめどない不安に襲われるが、一方でその対話こそ、自己確立への道なのかもしれない。僕の中で、「自分の生き方を自分で決めること」は、何よりも大切な価値観になっていった。

自身の原体験から、釜石市まち・ひと・しごと総合戦略「オープンシティ戦略」へ

東北では、震災復興のプロセスを通じて多様な「自己決定」が生まれている。釜石では、復興支援員制度を活用した地域コーディネーター「釜援隊」のほか、民間人材を行政で登用する「WORK FOR 東北」や「東北未来創造イニシアチブ」(現在、事業は終了)などを通じて、多数の外部人材が活躍してきた。釜援隊の卒業生には、地域で起業した人や市議会議員になった人もいるし、最近は地元出身のUターン者が増えてきた。自らの意思で外から飛び込んできた人と、地域で立ち上がった人が混ざり合うことで、リスクを許容する土壌が醸成され、結果的にイノベーションが生まれる。

市の総合戦略として「オープンシティ戦略」をディクレションした経緯には、そういう自分の原体験が根底にある。この戦略は、「市民一人ひとりが役割を持つ、もっとも開かれたまち」を理念に、市内外の人材や企業、NPOがオープンに行き交うことで地域を活性化させようというものだ。オーナーシップを持ち、自らの人生を他人任せにしない人を後押ししたい。そういう人材が育ち、還流する地域にしたい。これがオープンシティという理念の核心だ。

これから起きる、「暮らす場所」と「働く場所」の分離

人がよりよく生きることを考えることは、地域課題を解決することにつながる。

いろんな意味でこれまでのやり方が通用しなくなり始め、「明日」を見通せない世の中だ。名の知れた上場企業でさえ破綻する変化の激しい時代に、1つの組織へ暗黙的に自分を縛ることは結果的にリスクになるという考え方も現実味を帯びてきた。かつては、特殊な生き方とされたノマドやフリーランスという言葉も随分浸透してきたし、消極的な選択ではない地方移住やNPO就職も確実に増えている。「VUCA」時代(※)における「安定した」仕事や暮らしとは、激動の時代を自己変容とともに生き抜いてきた人のみが得るものかもしれない。

※Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字をつなげた造語。現在の社会・経済環境が、予測不能な状況にあるという時代認識を指す。

それに、今後はあらゆる「移動」のコストが下がっていく。例えば、僕たちが現役世代のうちに、平日は東京・丸の内に勤務し、土日はVR、AR、IoTなどを活用したゴーグルとロボットを通して釜石の仕事をする。そんな光景も夢物語ではなくなるだろう。テクノロジーの進化は、いずれ「暮らす場所」と「働く場所」の分離を可能とし、私たちは、自分の身を自分の好きな場所に置くという自由を手にする。まちづくりにおいて、「地域に人を呼び込むには雇用が必要」「まずは企業誘致」という議論のみならず、今後は、ますます個人一人ひとりのモチベーションや充実感から発想することが重要になっていくだろう。

市民や移住者が集まり、仲間を集い、地域の未来を語る「釜石◯◯会議」。地域というフラスコで「化学反応」を起こす好事例の1つだ

閉塞感を持つあらゆる地域社会や組織は「カタリスト」を求めている。化学反応を起こす「触媒」という意味だ。フラスコを激しく揺らされ、外からいろんな触媒が入ってきて、化学反応が起きた状態が震災後1〜2年の東北だとすると、時間の経過とともに徐々に物質が沈殿し、元の状態に戻りつつある。意識的に人や資源を還流させ、常態的に地域で化学反応を起こし続ける戦略がなければ、運動は停止してしまう。

そのヒントの1つが、時代の変化を捉え、個人の生き方と地域課題を接続することにある。こういう話が社会の大きなコンテクスト(文脈)として語られるようになったのは、日本の長い歴史でも初めてのことではないか。人がよりよく生きるために何をすべきか。この問いが、地域社会の課題に取り組む基本的な視座だ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

21世紀の公共性は、多様な個人の生き様から生まれる

「由(よ)らしむべし、知(し)らしむべからず」という言葉がある。

「為政者は、人々を施策に従わせることはできるが、その道理を理解させることはできない。恩恵は与えるが、どうせ分からないのだから、その真理は知らせなくてもいい」という意味だ。そして、これと対になるのが「為政者は、一般市民が何の憂いもなく生活に専念できるように、うまく政治やまちづくりを行うべき」という発想だ。

高度経済成長を経て、長期低迷に苦しんだ日本経済。人口の東京一極集中がもたらした地域産業の衰退と過疎化。世界一のスピードで少子高齢化が進展していく中で、「国や政治家はダメだ…」「どうせ田舎には何もない…」「役所はどんな補助をしてくれるのか…」。私たちは、どこかでそんな思考回路をしてきたのかもしれない。20世紀の公共性とは「与えられるもの」であったようにも思う。

東北で生まれた多様なオーナーシップを、一過性の出来事にすべきではない。社会や地域の中で影響力を持つ上の世代には、ピンとこない人もいるだろう。だが、これは長い時間軸でみれば、明治維新の時代から続く挑戦ともいえる。「一身独立して、一国独立す」という福沢諭吉の言葉が示すように、近代国家の歴史的一歩を踏み出した日本人は、そのときから、自立した個人が国や社会を形成するという考え方と、その実践を問われてきた。

震災を契機に生まれ、広がっていった個人の自己決定に立脚したライフスタイル。それを実践し、楽しみ、仕組みをつくり、支え合っていくこと。それが、僕たち復興世代のミッションである。21世紀の公共性は、多様な個人の生き様の集合として成り立つのだ。

「未熟なよそ者」の顛末

僕が東北で学んだ最も重要なことは、目の前の「現実」は変えられるということだ。

直面する様々な困難を、自分たちの力では到底変えられないものと考えるのか。それとも、あらゆる社会の制度や課題は結局のところ人がつくり出してきたものだから、それらは人の力で変えることができると考えるのとでは、一人の人間としてのあり様がまったく異なる。

26歳で東京から釜石に飛び込んできた僕は、地域からみれば単なる「未熟なよそ者」だった。やたらカタカナを使う変な人という理由で「アジェンダくん」と呼ばれ(笑)、お便りの封筒詰めも、体育館のイス並べも、雨の日の交通整理もやった。小さなことを積み上げながら、現地の情報を発信し、たくさんの人に出会い、資金が集まることで新しい企画に取り組むという循環が生まれていった。時には失敗しながらも、企業とのパートナシップ事例を重ね、議会答弁も自分でできるようになった。それは、僕が特殊な技能に恵まれていたからではなく、目の前にある困難を何とかしたいと望み、悩み、行動してきた結果に過ぎない。

地域の高校生と大人が本気で対話する、キャリア教育授業「釜石コンパス」

苦労が多いことは、決して不幸なことではない。嬉しいこともある。3年前から、地元の高校生と大人たちが本気で対話する「釜石コンパス」という事業を、UBSグループと一般社団法人RCFと共同運営している。先日、4月に入学したばかりの1年生にまちづくりの講演をした際、ある生徒から「東京の大学に行くつもりだけど、卒業したら釜石に戻って、オープンシティの取り組みに参加したい。だから7年後も続けていてくださいね」と言われ、結構ジーンときた。1年前に大学入試のエントリーシートに「地方創生の担い手になる」と書いた子は大学生となり、「オープンシティ戦略に参画したい」と釜石市役所の採用試験を受け、4月に入庁した20歳の新卒職員は僕の部下になっている。

僕はこれからも、「誰もが自己決定を実現できる地域社会」という理念を形にする試行錯誤を重ねていく。選ばれる地域や組織となるためには、コンテクスト(文脈)が必要だ。リリースから3年目を迎えたオープンシティ戦略を、2015年に国連が採決した「SDGs(持続可能な開発目標)」に沿って改定するプロジェクトをスタートした。「世界の共通言語」を通じて、釜石の復興まちづくりを表現し、マルチステークホルダー連携を深化させていきたい。

地域・人材共創機構は、石川県七尾市、長野県塩尻市、岐阜県関市、島根県雲南市とともに始動。7月には釜石市で第1回合宿を行った(三陸駒舎にて)

また、こうした社会実装を展開する活動にも力を入れていく。昨秋、全国8自治体やNPO法人ETIC.と、移住・起業支援の広域プラットフォーム「ローカルベンチャー推進協議会」を立ち上げた。今年3月には、日本財団と連携し、官民連携や外部人材の活用に先進的に取り組む5地域で知と実践の共有を図る「一般社団法人地域・人材共創機構」を設立している。

釜石に移住してきた5年前、現在の自分を想像することは全くできなかった。被災地に飛び込むことを決めた自分が持っていたのは、ほんの少しの勇気だけだ。心の温度が上がったら、自身の内なる声に従えばいい。人は自分で決めた道でしか走れないし、目の前にある「現実」はきっと変えられる。こうした感性を共有する復興世代がネットワークをつくり、カタリストとして新しい社会の未来を切り開いていく。そして、僕もその一人でありたい。

提供元:東北復興新聞 (http://www.rise-tohoku.jp/?p=15341)


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